かめ担を振り返る
ジャニヲタとして、昔の気持ちをもっと残しておけばよかったなあと思います。
田口脱退をきっかけにいくつかジャニヲタのブログを読んでは共感する日々。
自己消化のために、私の10年を、なんとなく振り返ります。
■幼少期~高校生
ジャニーズ大嫌い時代。当時V系にはまっていたわたし。
ジャニーズなんて、いっぱいいてうざい!自分で作詞作曲もしないくせに!
とありがちな批判スタンス。
■2005年1月
外出先から帰宅。忘れもしないあの日、居間で母親と家族がドラマを見ていた。
そこにいたのが「小田切竜」。
立ちつくすわたし。
え?これ誰?え?ジャニーズ?え?え?関係ない!好き!!!!!!!!!!!!!
そこに理想の顔があった衝撃を私は今でも覚えています。
そこから毎週土曜は正座をして竜ちゃんのご尊顔を拝見しておりました。
ここから人生が狂い始める。
■お勉強期
アンチジャニーズから突然ジャニヲタへの道に足を突っ込んだ私、とりあえず何をしていいかわからない。
・雑誌を買い漁り、生年月日や趣味、嫌いな食べ物等々のお勉強。
・友人から昔のジャニショの写真を大量に買い取る。
・神様コンのDVDを借りて、昔のかめの姿に驚愕。-あれ?私の知ってるかめじゃない??
・過去の映像(少クラとか8時だJとか)のダビングを、知らない人から5000円くらいで購入する
この頃、海賊コンのDVDが発売される。
受験生の私、部屋にテレビもないので、夜な夜な親が寝静まってから延々DVDを消音で見続ける。
で、この頃ずっと言ってたけど、自分は「亀担」じゃなくて「小田切担」だって主張してた。
亀のことは好きじゃないとかそういうことじゃなく、竜ちゃんを先に知ったわたしにとって、クールな小田切竜とお調子者の亀梨和也のギャップはとても大きくて、どうしても同一人物とは思えなかったのである。
小田切竜はどこかで生きていると、本気で信じていたし、二人が別人であれば、小田切竜にお金をかけたい人生だった。
・コンサートデビュー
お友達にチケットを取ってもらい、横アリに初参戦。
結構席よかった気がするし、横アリなんて今考えるとなんてすばらしいって思うけど、当時はまだそのありがたみもよくわかっていない状態。
ちなみに、ごくせんからファンになった私達に、古株のヲタクは厳しく、
mixiのチケット掲示板や友達募集掲示板等でよく迫害されていたのをわたしは忘れません。
「ごく出(ごくせん出身のファン)にはチケットは譲りません」
っていうの本当に多かった。
ミン出とかね。野ブタ出身はなんだっけね。
一生新規のごく出です。
■怒涛のコンサート参戦期
大学生の時は、ほぼジャニヲタやってた記憶しかない。
ジャニヲタとつるみすぎて、大学の友達がいない。
最初の頃は、仲良かったお友達が横山&中丸担だったこともあって、エイトのコンサートにもよく行っていた。初遠征は、エイトの47都道府県ツアーだったはず。
10年のうち一度だけ、大倉くんと目が合って微笑んでもらった時に、大倉担にうつろうか真剣に悩んだ3日間があった。
3日後、我に返った。
7日連続東京ドームは本当に楽しくて、毎日三角ドームに通ってた。
友達と「また明日!」って別れて、学校みたいだった。
だんだん、遠征するなら良席に入りたいという思いが強くなり、チケットは定価で買う!という信念も揺らぎ、2万くらいまでなら詰むようになる。
就職してもジャニヲタは変わらず。
ここまで書いて力尽きていたのでそのまま公開します